「リーダーシップ」×「フォロワーシップ」~本質を知る為に必要なこと~
2015.07.29
ツイート「リーダーシップ」は小学生の頃から皆が知っている言葉で、これを持ちあわせているかは一つの優劣のように思われていた。
最近、何かと話題のドッジボールでも、休み時間にはリーダーによるチーム決めが行われたし、放課後の過ごし方も皆、何となくリーダーの発言を待っていた。「リーダーシップとは」などという授業もなく、特段、教師から教わった覚えもないが、必ずリーダーがいて、そこに従うフォロワーがいたものだ。
今思えば、あの頃の「仲良しグループ」はうまい事できていた。
リーダーは体格がよく発想豊かで、一緒にいて頼りになったし面白かった。更に思い起こせば、開放的な心情の持ち主でありながら、割と繊細でもあった。フォロワーである私たちは、リーダーの彼、彼女に憧れ、嫌われたくない想いを持っていたものだ。こんな言葉はもちろん知りもしないが「リーダーにコミット」していたと言ってよい。
コミュニティにおいてリーダーは自然発生的に生まれるから、私たちはリーダーシップを学ぶ事を本気で捉えるのは難しい。
しかし、誤解をしてはいけない。リーダーとリーダーシップは別物だ。リーダーは立場だが、リーダーシップは違う。その内容について学ぶことも可能な、一つの概念だ。既に自分をリーダーだと自覚する人が、その強化のためにリーダーシップ論を学ぶのも良し、リーダー的な態度を求められ、必要となって学ぶこともまた有りなのだ。
ひょっとしたら、子供の頃、教わらずして形成していたリーダーとフォロワーの関係が、理想形かもしれないが、大人達はそうも言っていられない。企業において一定の年数を経過し、部下や後輩ができれば役割としてリーダーシップの発揮が期待される。同時に、部下となれば正しいフォロワーシップが期待されるのだ。
フォロワーシップはリーダーシップに比べて、そう一般的な概念ではない。優秀なリーダーの下には優秀なフォロワーがいるものだが、どのような組織でも話題の中心はリーダーである。フォロワーが注目される事はまれだ。
このフォロワーシップ。実はリーダーシップより誤解を受けやすい。
なぜなら企業がフォロワーシップ研修を実施しようとすると、受講者は盲目的にリーダーに追従させられるイメージを持つからだ。
年齢や性別によっては、フォロワーとして集合すること自体に抵抗を持つかもしれない。
従って、研修講師は「フォロワーシップの意味」から丹念に講義する必要がある。
ではフォロワーシップとは何か。
はじめにこの言葉を使用したのは、米国、カーネギーメロン大学教授のロバート・ケリーで、1992年の著書「指導力革命」でリーダーシップを補完する概念として提言している。この著書の中でケリー教授は、フォロワーシップに欠く事のできない力として、組織に対する「貢献力」「批判力」を挙げている。決してリーダーに従順なだけのフォロワー像ではなく、リーダーが示す目標に迷いなく協力しながらも、その目標が企業理念やコンプライアンスに齟齬があると感じた時に、真摯に批判できなくてはいけないとしているのだ。
言われたことをやるだけの受動的な態度や考え方では、ケリー教授の言うフォロワーにはなれない。自ら考え行動できる見識と倫理観が必要だし、リーダーや自分を見つめる目は常に冷静で公正でなければならないだろう。
近年、フォロワーシップを学ぼうとする動きは顕著だ。研究が先んじたリーダーシップは人材育成計画に早くから導入されていたが、ここにきて、その効果を最大限に発揮する施策としてフォロワーシップの醸成に注目が集まっているのだ。
また、少数のリーダーを育成するより、大半を占めるフォロワー層の能力を上げることの方が組織力の底上げには近道だとの判断もある。
「世の為人の為」の謳い文句が空々しく響く現代、リーダーシップもフォロワーシップも理屈だけの理解では表層をなでるだけだ。本質を知ろうと思えば、自分が働く意味、今、ここにいる理由を見つめる事が必要だ。邪念や欲をそぎ落として、自らの存在意義を考えた時、おのずと答えは出るだろう。
優秀なリーダーと優秀なフォロワーは組織に活力ある相乗効果をもたらす。
経営者は両者の育成を考えねばならない。