ヒップスターゲート

仕事の合間にほっと息抜きコラム

だから「自由」とは「自律」という考えに至った。

2015.10.22

私は高校の時、ユネスコ主催のヨーロッパ5か国訪問に参加しました。今から40年以上前のことです。
当時は欧州でもMaid in Japan製品が安く売れていました。たぶん明治創成時に欧州留学した人々のような気分。
欧州の文明や文化に感嘆し、広場でくつろぐ人々の往来の風景に、私は自由な雰囲気を感じて帰ってきました。
お土産にとブリキのおもちゃを買って来たのですが、日本製でした。

あまり知られていないのですが、オリンピックにはユースキャンプというIOC主催の種目があります。
私は、大学時代にモントリオールオリンピックに、旧文部省の派遣で参加しました。

当時、タレントのビートたけし(北野武)が「コマネチ」と言って風靡され、田中角栄が逮捕された年でした。
派遣された私たちはキャンプで紹介した電線音頭が結構ウケました。私は多くの国の人との寝起きを一緒にして交流し、
ホームスティや地元の大学の学生とも語り合った貴重な経験をしました。
また、モントリオールの家庭ではガスでなく電気で料理していたのです。
今では日本ではオール電化は普通でしょうが、当時の日本では考えられないことでした。

様々な交流から、自由には「自立した自分」と「責任」が伴うことを、教えてもらいました。
つまり、自由には責任あるメンタリティを持つことがたいせつだ、と感じて帰ってきました。

「自由」と「勝手」は混乱しやすい言葉です。
「自由」には「責任」が必要ということです。

自由な状態を、食堂での例で考えてみます。

① 食事時に空腹である(食べるように強制されない)
② 強制されることなく提示された料理メニューの中から、自分の意思で選べる
③ 料理メニューと実際の料理が一致していて、違う場合はクレームを言うことが出来る
④ 注文することが出来て、その料理が提供され食べることが出来る
⑤ 選ぶメニューがないときは、退店することが出来る

自由には拘束や強制されないこと、保障されていること、そして行使するのに責任を持つことが大切ということでしょうか。

自由は英語では、Liberty、Freedomと表記されます。上記の自由の例は、Libertyに該当するかと思います。
Libertyは「束縛からの自由」と言う意味で「~からの自由」。
Freedomは「何者にも捉われない自由」と言う意味で「~への自由」として捉えられると思います。

大学時代に学んだE・フロム「自由からの逃走(Escape of Freedom)」にはショックを覚えています。
せっかく束縛から解放され、束縛されない自由を得たのに、自ら放棄してある権威にすがってしまう社会メカニズムが働くことを、
ナチズムから考察しています。
私たちは、外界の影響を受け解放された自らの自由を放棄して逃れ、自ら束縛されることを臨んでしまう作用が働くというものです。

Freedomの実現には、多大な努力そして能力と苦痛が伴います。
Escape of Freedomは、権威や人の後ろに従った方がFreedomの苦痛を避けられ楽に生きて行けます。
私たちの日常は、常に外界の影響を受けます。卑近な例では「~が言うから」とか、マスコミや流行に流されるということでしょうか。

「責任を取れれば、何してもよい状態」は、Freedomとたいへん混迷しやすいものです。
私は前者の状態を「エピュキュリアンな状態」と呼んでいます。バブルの頃、時代風潮はエピュキュリアンな自由の横臥とみえました。

実は私も、一時このエピュキュリアンな生活をしたことがありました。
人から見れば「そうやりたいのだけど、なかなか出来ない」「そんなことができるのは羨ましい」と見えます。
なにをしてもよい自由な生活を横臥する生き方です。やれている自分に、誇らしさや満足感も感じていました。
これが「自由」なのだと。しかし勘違いしていました。私はその中で、自分は本当に満たされているのか?と鑑みてみると、
結論は満たされることはなかったと悟りました。

還暦になり、改めて「自由」ということを考え直してみました。

私の結論は「自由」とは「自律」という考えに至りました。

すなわち、自立した自分が自らのあり方を自ら選択して、自らを律するという考えです。

そのためには、ちょっとした工夫が必要です。なにも大儀や大層なことは要りません。
日常生活を、なんでもひとつでもいいから「データ化」することです。

たとえば、健康になりたいと目指すなら、「朝の体重を計る」(この習慣の好さは別稿します)ができたら、〇×データ(有無データ)。
体重は、数値データ。昨日よりの変動を見ての満足度データは、7点(10点満点中)というように、毎日をデータで「記録する」ことをお勧めします。記録はなにも帳面やエクセルでなくとも、カレンダーにちょっと書いておく程度でOKです。

そして、ある程度の単位で振り返って評価することもたいせつです。週に、月に何回、何割できたかを振り返ります。
その振り返りから、「やった!・残念!・よし!」自ら道筋をつけた生活ができることを楽しむことが「自律」ではないかと思っています。

平たい土壌に棒で線を引いて、水を流します。水はある程度、その引いた線に集まり流れていきます。
私は、このような現象を「水路付け効果」と呼んでいます。
このように、自ら線を引いて自然に水路の方向に水が流れていくような生活を楽しめる毎日でありたいと、私は毎日記録しています。

先の戦争で日本人だけでなくじつに多くの犠牲のもとに、私たち日本人は自由を手にしました。
そして、安保関連法案の成立。日本人は自由を横臥できる平和をずっと大切にして来ました。

ほんとうに、自由は素晴らしいものです。
そして、自由を日々楽しめる幸せに成ることこそ、犠牲になった方々に報いることだと思うのです。
私は還暦を迎え、先人に感謝すると伴に自由を楽しめる自分に成りたいと思っています。

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