書籍、研修会社ホームページ、研究論文の順でヒットする拝見したサイトの多くは“経営”シミュレーションゲームの説明やレポートであり、計数感覚や経営者・管理者の意思決定能力を訓練するプログラムが紹介されている。
会社経営の仕組みがわかり、客観的でどの職種にも汎用性がある。最強、最適なビジネスゲームのテーマなのだろう。まったく様相を異なるが子供たちが仕事を体験できるテーマパークがあり、人気を博しているのは皆さん、ご存じだと思う。ハンバーガーを作ったり、獣医さんになったりできるらしい。楽しそう。子供たちは大人の気分を味わえてウキウキするし、親としては我が子に貴重な社会体験をさせることのできる絶好の場なのだろう。
さて、この“体験”がとても重要だと思う。
算数や国語、社会といったいわゆる勉強も、先人の知恵や知識、史実を知ることによる二次的な体験である。もちろん勉強だけではない。
当然だが、学校は私たちがはじめに見る社会であり、人間形成に大きく影響を及ぼす。
好きな異性ができて思いが通じたり、通じなかったり。仲間とどうしても上手くやれず苦しい毎日を過ごすこともある。
当人は死ぬほどの想いで目下体験を重ねるわけだが、数年後には自らの枝幹となるのだ。
学校や勉学とは離れるが、自己啓発本が多く読まれるのは、成功(あるいは失敗)体験者の知恵を学び、自律を促そうというのだから体験を購読していると言ってよい。
いずれにせよ毎日が新しい事ばかりの日々は、自立した大人になるための準備期間である。だから人は何を体験してきたのかが問われるのは当然なのだ。一を聞いて十を知る聡明な人ならばともかく、凡人は無駄とも思えるあまたの体験からやっと一握りの教訓や生きる術を得るのではないだろうか。
私を含め多くの鈍感な人間は、体験の10年も後にその意味をぼんやりと「そうだったのか」と思ったりする。よい歳をして「今、気づくとは何事か」と叱られる事がたくさんあるのだが、日常生活の細事は有り難い事に助けを頂きながら何とか過ごしている。恐らくそれは、出会ってきた友人や先輩方の教えと、失敗をくりかえした若いころの体験が自分を少しずつ作ってきたからだと思う。
「今でしょ」で2013年の流行語大賞を受賞された林修さんが、テレビに出続けると決心した時の話しをされていた。
東京大学を卒業し現代文の講師として“言葉”をあつかうプロだという自負があった。同業の講師と比較してもその能力は高いと感じていたそうだ。
それが、ある日出演したテレビ番組で、タレントの言葉の瞬発力にいっさい太刀打ちができないという体験をしたという。
“言葉”のプロとしてのスキルが“現場”で活かされなかった。自尊心が傷つけられたと同時に、生きた言葉を勉強したいと思われたそうだ。
人気講師として忙しい毎日を過ごす中、テレビ出演を続けられているのは知識を知恵とする得難い場に身をおくためなのだ。
体験は、それが机上の勉学か実体験なのかではない。己の知識、失敗や成功から取捨選択し、我として必要な知恵を得たかどうかだ。
つまり、「学び」の意識とでも言うだろうか。自分は完成形ではないという認識を前向きに作用させれば、日々=日常から学ぶものは多い。
「最近の若者は~」という台詞、紀元前アッシリアから言われていた。
実際は「~らしい」であって、記載されている文献は特定できていないそうなので、まことしやかな噂話なのかもしれない。が、私が生きてきた数十年、何度となくこのフレーズを聞いたのは事実である。多分に揶揄される若者評価だが、全く異なる環境で育った世代を大人たちの枠にはめるのは無理がある。新入社員たちも“ゆとり”や“さとり”と一方的に避難されても困るだろう。
何故なら彼らは総じて真面目なのだ。
昨今のある調査では、大半の人事担当者が新入社員を「まじめである」と評価しており、それは有効回答の6割近くになったという。社会は成熟していく。システムが整理され、日々に遊びやブレが生まれにくくなってきた。我が何者なのか悩む意味や時期が彼らには訪れにくい。
将来を見通せてしまうだけの情報が周りにあふれているのだ。彼らは型破りな天才がいることを知っている。しかし、それが自分ではない事も同時に“さとる”のである。それは与えられた器を内側から見ているようだ。むろん、器は割れるし、水はあふれる。若ければ若いほど可能性は無限なのにだ。
整理された社会で冒険をする機会もなく、子供のころから日本は不景気だったので足元を固める生き方が賢かった。「将来の夢は公務員」この回答、子供たちの口から聞くこと多数回。公務員は尊い職業でそれが悪いわけではない。ただ、「何だかなぁ」と大人たちは思うのである。
しかし、小学生の職業認識に公務員が挙るのは不自然だ。子供たちはどこかで聞き、現実的でクール、大人びたカッコイイ印象を持ったのかもしれない。そうして「公務員になる」と答えているうちに、あながち冗談ではない事を知る。大人も子供も心のどこかで本気なのだ。冒険の意味が見出せない。そんな風に彼らは育った。
いきおい早い段階で解答にたどりつく事が是となる。正解を知っている事が重要なのだ。しかし、日々の暮らし(や人生)は2進法ではまとまらない。0と1では説明がつかないのが世の常だ。ある若者の“正解”は、彼の体験を経た時に生き生きと動きだす。たくさんの人や社会で試され、彼なりの理解が加わって知恵となる。体験が答えの深度を深めるのだと私は思う。正解を急いではいけない。
冒頭のビジネスゲームは仕事場面を受講者が体験するものだ。概ね研修の形で行われるため、企業側の思惑も多分に含まれる。受講態度や理解度が人事につつぬけだと思えばここでの評価も気になるだろう。しかし、せっかくの“体験”の場である。もろもろ割り切って受講してほしいと思うし、受講者が若い世代であれば猶更だ。
思い返してみてほしい。毎日が新しい事ばかりだった頃の一年は本当に長く、同じ時間を大人たちがこんなにアッという間に過ごしているなど、想像もしなかった。都度、困ったり感心したりでヘトヘトだったが、今思えば清々しく何と充実していたことか。物事を知らないことの強みがそこにある。「知らない」をスタートに始めればそれで良いのだ。
“さとり”などと言われていないで、生き生きと体験をしていってほしい。
誤解を恐れずに言うのならば「バカは強い!」のである。
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