インターセクショナリティ(交差性)とは、人種、性別、階級、性的指向、性自認など複数の要因が交差することによって、マイノリティの中でもさらに周縁化されるマイノリティの人がいるということを捉え、そうした人々が直面する差別や不利益を理解する枠組みのことです。
人種差別やジェンダーの問題は個々別々の問題ではなく、それぞれの社会カテゴリー同士が複雑に絡み合いながらさらなる差別や不利益をもたらしているのです。
わかりやすい例として「黒人女性」を取り上げます。 これまでの黒人女性への捉え方は、人種差別問題というカテゴリーでは「黒人」、性差別問題というカテゴリーでは「女性」という点に焦点が当てられていました。
つまり、人種差別や性差別について取り上げる際、人種と性別どちらか一方のカテゴリーだけを取り上げて、もう一方は取り上げないといったことが起こっていたのです。
しかし、インターセクショナリティという概念では、社会カテゴリーによって取り上げる問題を変えるのではなく、カテゴリー同士が深く関わり合っており、それらが相互に作用することで独特の制圧が生じている状況を指します。
オードリー・タンが考えるインターセクショナリティ
台湾の天才デジタル担当大臣と呼ばれるオードリー・タンはインターセクショナリティをもっとわかりやすく説明しています。
「インターセクショナリティは、全ての人がマイノリティだという考えである」
全ての人がマイノリティであれば、それは少数の人だけの問題ではなく全ての人にとっての問題となります。ここでオードリー・タンが取り上げているマイノリティとは、大きな社会問題のみではありません。
例えば、少し前の話にはなりますが左利きは良くないとされていました。家庭によっては、右利きになるよう文字の練習を強要される子どももいたでしょう。現実的にハサミや料理機器など当たり前のように右利き人用で作られていました。
社会の多くはマジョリティの基準によって構成されており、マイノリティの尊厳は損なわれやすくなっています。 オードリー・タンはこの様な日常にあるマイノリティやをお互いの違い共有することで、より良い社会の実現ができるというのです。
左利き例で言うと、現在売られているハサミは左利き右利き問わないように作られているなど、ユニバーサルデザインの観点で全ての人が使いやすいものが世の中に多くなったように感じます。
こうしたお互いへの理解が実際により良い社会の実現へと繋がっています。
インターセクショナリティの考えを広げるために
上記にもあるように、社会はマジョリティが基準となり、その基準から外れている人を周縁に置き去りにしています。なぜその状態が続いてしまうのかというと、マジョリティにとって当たり前を自覚することは難しいことだからです。
わたしたちの研修で行っているある面白いゲームを紹介します。そのゲームは最初から不平等が仕組まれているゲームです。参加者の能力とは関係なく勝ち負けが分かれるようになっているゲームなのですが、参加者たちはゲームの構造自体に不平等があると当然思いもしません。そのため、自分たちが1位になれるように全員工夫を凝らします。そして、ゲームの勝敗がついた後に参加者にはこのゲームは不平等があったことを伝えます。
このゲームからわかることは、これまで生きてきた中で自分たちの能力や努力があって今の立場にいるかもしれないが、大きな要因はそもそもの社会構造があってのことだということです。
日本という国で、整った教育環境があったから得られた結果です。しかし国によって教育制度が整っていない場所はまだまだあります。わたしたちマジョリティにとって当たり前のことが、全員にとって当たり前かというと違うのです。
そのため、自分はマジョリティである、あの人はマイノリティだと考えるのではなく、自分もみんなもマイノリティだと捉えることで、マイノリティも生きやすい社会へと変えることができるのです。
まとめ
わたしたちの多くは、無意識のうちに自分自身をマジョリティだと捉えており、その考えが結果マイノリティとマジョリティの溝を作ってしまっているのではないでしょうか。自分自身も周りの人も、全員がマイノリティだと捉えることができれば、多くの人にとってもっと生きやすい社会の実現ができると思うのです。
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